緊張と緩和

ギターとかジャズとか格闘技とか

練習のための練習をしないこと

コツコツと練習することに向いてることが自分の性質だ、と思ってるのですが、ムダなことをたくさんやって来たので以後は気をつけなくてはという話。

 

例えばギターの練習。

スケール練習には今までかなりの時間を費やしてきたけど、練習の成果として自在にスケールを操れるようになつてるかといえばそんなことは全く無く、いまだにアドリブは弾けない。

何でこんなことになったかというと、スケールの意味を理解しないで弾いてたからだろうなあと。ただの指の運動としてやってただけ。なので7度の音を弾きたい時や13度の音を弾きたいときにパッと出来ない。パッと出来ないからその場その場で音を選べない。選べないから手癖で何とかしてしまう。悪循環だ。

 

これは、意味も分からず練習をやってたことが原因だと思う。

度数を意識しないでスケールだけ練習してもただの指の運動にしかならない。指の運動として記憶することは出来ても応用は出来ない。

おんなじことは格闘技にも言えると思う。

場面を想定しないでサンドバック叩いてもただの筋肉の運動にしかならないので相手を倒せる技術にはならない。

 

意味ある練習、実践(実戦)を想定した練習をしないとなあ。

セッションかなあ。でもなあ。

とか思いながらメトロノームでイン・タイムで弾くことからはじめます。

 

 

 

 

 

 

 

今月聞いた新譜(2017年9月)

例によってリリースされて半年未満のものは新譜という括りで。



ニール・ヤングです。
76年のレコーディングだそうです。このクオリティの録音がなぜお蔵入りになってたのか謎。
ニール・ヤングは未発表の収録がたくさんあるらしいのでどんどん出してほしいですね。
アコースティックなアルバムです。いいですね。
ハーベストやアフター・ザ・ゴールド・ラッシュみたいな研ぎ澄まされた繊細さとはちょっと違いますが、心の隙間にすっと入ってくるような演奏です。
ジャケットもいいです。




A Rift in Decorum: Live at the

A Rift in Decorum: Live at the

アンブローズ・アキンムシーレです。
トランペットのコントロールが超絶です。
エフェクトかな?と思うけど生音。
9月はこれずっと聞いてたのですが先日このアルバムがライブ盤ってことに気づきました。
拍手が曲終わりに入ってたのですが、あまりの完成度に耳が拍手をスルーしてたようです。
ガツンとした聴き応えのあるアルバムなので、大きな音で聞きたい。
ジャズ喫茶のリッチなオーディオでガツンと聞きたい。




ライヴ・イン・モントリオール

ライヴ・イン・モントリオール

上原ひろみエドマール・カスタネーダのデュオです。
もっとラテンかな?と思ったらそうでもなかったです。
超絶テクニックですね。
エドマール・カスタネーダのハープは知らずに聞いたらピアノかギターかと思いそう。
上原ひろみはいつもどおりジャズというよりもプログレっぽく聞こえてしまう(個人の感想です)。


今月はこんな感じ。

無窮動トレーニングをはじめてみた

教則本を買いました。

有名な教則本ですね。評価もすごく高い本です。
コード進行でどんなフレーズが弾けるか、をこの本で練習しています。フレーズ集として使っています。
この本の特徴は、8分音符がずーーーーーと続いてる楽譜にあります。なので、次から次へフレーズが延々と続いてる膨大なフレーズ集です。
自分では思いつかなかったフレーズが次から次へ出てくるので、フレーズの引き出しを増やすことが出来ます。
またツーファイブのフレーズのボキャブラリーを増やしたい、などの目的にも対応できると思います。

「この本が20年前にあったら、、、俺はもっと上手くなってたのに」
と思うくらいの良書と思います。すばらしい!

ただし、
タブ譜だけを見て黙々と練習することには向いてないですね。それではただの指の筋肉トレーニングになってしまいます。

後ろで鳴ってるのが何のコードか?
コードトーンはどの音か?

くらいは意識しないと目的を見失って膨大なフレーズの前に挫折しそうです。

目的を持って練習すれば得るものはかなり多いと思います。


とはいえまだ半分も弾けてないですが。。
道のりは遠そうですね。。

最近よく思うのは、ギターの練習は修行だなあと、、、。コツコツと続けていきます。

アドリブについて

ジャズはアドリブに重きを置いてるけどそれってどうなのよ、ってことが長年の疑問です。
すばらしく完成されたアドリブソロもあれば、そうでないものもあります。

すばらしい演奏をみんな聞きたいはずなのになぜアドリブを聞きたがるのだろうか。

もうちょっとブレイクダウンしてみるとこんな感じ。

  • すばらしい演奏を聞きたいのならキチンと作曲されたソロのほうがいいはずなのにアドリブに価値を置いてしまうのはなぜか?
  • 演奏のたびに毎回ソロが違うのは旋律(メロディー)としての完成度が不完全なためではないか?
  • 本当にすばらしいものは演奏のたびに音符が置き換わってしまうような柔軟さとは相容れないのが本来の姿では?つまりアドリブソロは不完全な旋律では?
  • その場その場で即興として奏でなれる旋律よりも考え抜かれた旋律のほうが完成度が高いのでは?
  • 「ジャズは演者どおしの反応でどんどん曲が(フレーズが)変化していくのが醍醐味」というのは理解しているが、醍醐味を感じさせるソロを用意しておいたほうがさらにレベルの高いソロが聞けるのでは?

クラシックのように譜面を緻密に再現する演奏は求めてないのだが、「もっと良い演奏を聞きたい」「もっとすごいのを聞きたい」と思ってしまう。「良いもの」「すごいもの」となると、やはりジャズはアドリブに重きが置かれる。
それはなぜか?について考えてみました。

ゲームとしてのアドリブ

ビバップ的なアドリブについてはゲームとしての楽しみがあると思う。
ドミナントモーションの中で、フレーズのおもしろさを競うゲームとしてのアドリブ。それはひとつのルールの中で技を競うスポーツに似てると思う。
名試合の再現をどれだけ緻密にやってもスポーツとしてはおもしろくないわけで。やはり試合には、相手の反応から引き起こされるアクションが見たいわけであり。
つまりそれは駆け引きとか騙し合いとか調和とかが演奏の時間軸の中でランダムに発生することではないかと。
そこにゲームとしてのおもしろさを見出しているように思います。

クオリティとゲーム性

そうなると、ゲームとしてのおもしろさはクオリティを求める欲求より優先されるのか?という疑問が浮かぶ
これについては、そういう面はたしかにあるなあと思う。しかし反面で断片的なクオリティを強く求めてるのではないか、とも思う。
ひとつひとつの技については、すごく注目してアドリブソロを聞いてるように思う(=個人の感想)。
格闘技の試合に例えると、
「いまのハイキックよかったねえ」
「ミドルキックのディフェンスからパンチ連打にもっていった攻防が見事だった」
みたいな感じで
「いまの早いフレーズよかったねえ」
「ピアノのブロックコードを受けてのサックスソロが見事だった」
とか。
こんな感じで全体の構成よりも1個のアクションにかなりフォーカスしてることが僕自身については多いように感じてます。
もちろん全体がどうでもいいわけではなくて、1個ずつのアクションが集まった総体としての楽曲全体の構成を最後に俯瞰で見るみたいなものに感じます。
(そもそもジャズはアドリブによって曲の長さが伸び縮みするので、全体を俯瞰で見ることは演奏終わってからじゃないと分からない)。
そういう意味ではゲーム性の中にクオリティを求めているのではと思ってます。

楽曲のルールの中で個々の演者がどんなゲームをするか、ということが大きな要素かなと思います。
演者すべてが良い演奏をしなければ完成度もクオリティも下がるのか、といえばそんなことは無くて。
ジャズのおもしろさは個々の演者の演奏による部分が大きいのではないかと。
例を上げると、
ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」でトミー・フラナガンがヨレヨレのピアノソロをしてても「ジャイアント・ステップス」が名曲であることには変わりないわけですから。
もちろん全体の構築美がすばらしいジャズ演奏もあるわけで一概にゲーム性だけでアドリブソロのクオリティを説明できるとは思ってないですが。

まとめ

つまり「良い演奏」が何を指してるかがジャズは違うのではないかな、と思います。
アドリブを「即興での作曲」と捉えるか、「その場の反応」と捉えるか、によって変わるし、人によってその定義はもしかしたら変わるのかもしれない。

まとまってないし、解決になってないですが、こんな感想を持ちました。

よく使うスケール一覧

前にこんなこと書きました。
tomohironozima.hatenablog.com

この中で
よく使うスケールを

イオニア
R・9・3・11・5・13・7
ドリアン
R・9・m3・11・5・13・m7

みたいに書いてたのですが、音と音の間隔を把握するなら表にしたほうがいいかな?と思ってExcelで作ってみました。

f:id:tomohironozima:20170914111426p:plain

半音・全音の間隔がこっちのほうが分かるような気がしないといっても過言ではないかもしれない。

これも練習の素材にしてみます。