緊張と緩和

ギターとかジャズとか格闘技とか

「ケルン・コンサート」のこと

キース・ジャレットの 「ケルン・コンサート」をはじめて聞いたのは大学生の頃です。
当時は何の知識もなく聞いてました。なので「完全即興演奏によるピアノ・ソロ」ということはだいぶ後に知りました。
でも、そんなことを知らなくても十分に楽しめた。演奏から圧倒する何かが伝わってきました。
即興だろうが楽譜通りだろうが良い演奏であればどっちでも良い、と思ってるんだけどこの演奏は圧倒的にすごい。
ゼロからモノが作り出されてるダイナミズム。その瞬間を聞くことが出来る。すばらしい。

最近あらためて「ケルン・コンサート」をよく聞く。ここ1カ月は繰り返し繰り返し聞いている。
なぜか救われたような、大きなものに包まれたような、そんな気持ちになれる。心がささくれたときにすごく効く。
なんというか、宗教音楽とか賛美歌とかを聞いたときのような感じかな?いや、ちょっと違うな。何と表現すればいいのだろう。
恍惚感。癒やしと救い。雲の切れ間から光がピアノに差し込むような、宗教画のような光景。

「ケルン・コンサート」とおなじく完全即興演奏によるピアノ・ソロアルバムの「ソロ・コンサート」(1973年)のライナーノーツにキース・ジャレットのこんな言葉があった。

このアルバムの演奏は、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである。

僕はひねくれてるので「創造の神」ってことばをそのまま鵜呑みにする気は無いんですがすごいですね。『創造の神から届けられたもの』って。

「ケルン・コンサート」をはじめて聞いたときから『ひらいてる』っていう印象を強く持ってたのですが、『「創造の神」といわれるもの』と媒体であるキース・ジャレットの双方が通じ合ってることがそういう印象をもたせたのかもしれない。
そんな感想を持ちました。


ケルン・コンサート

ケルン・コンサート